守山市の柔道の歴史

 守山市の柔道の歴史(文中敬称略)

 

昭和2245 石塚定成、西村平司、藤本利夫、森川昭二などが発起人となって守山柔道同好会(のちに守山柔道協会へ改称)を設立し、週3回夜間稽古を開始した。(終戦後、武道は活動を禁止されていたが、昭和217月に、スポーツとしての活動が解禁された。)

 

昭和282 森 幸太郎滋賀県知事を迎え、柔剣道大会を盛大に開催した。滋賀県柔道連盟野洲支部に加入し、県下の大会には絶えず選手を派遣するまでに基盤が固まった。 

 

昭和284 市立守山中学校の前身である湖南中学校に柔道部が創設された。当時の校長、山本督治郎先生のご理解と守山柔道協会会長、藤本利夫先生のご尽力により、県下の中学校で4番目に古い歴史を持つ。

 

昭和327 それまで使用してきた守山警察署の道場が、留置所の隣にある関係上使用ができなくなり、吉身地区の米倉庫を借用した。しかし、2階のため床抜けを心配して、まもなく野洲西小学校講堂の片隅に移動し、さらにチッソアセテート(株)の物置へと、稽古場所探しの苦労を楽しみながら稽古を重ねた。

 

昭和33 藤本利夫が滋賀県柔道連盟理事・守山支部長に就任した。

 

昭和38 守山町体育協会理事長、金森達郎氏の勧めにより守山町体育協会に加入し、旧湖南中学校校舎(後講堂)に稽古場所を移した。同中学の木戸巳代司教諭(四段)も連盟の活動に参画した。

 

昭和41227日 守山町旧湖南中学校講堂において守山町柔道スポーツ少年団発会式が挙行された。田中清太郎先生(県柔道連盟理事長 八段)や金森達郎先生の斡旋、ならびに北川俊一町長(後に守山市長)、西村四郎教育長、山岡 茂公民館長、高橋一男体育協会副会長等をはじめとした各位のご協力により、結成することができた。少年団名に「守山町柔道スポーツ少年団」と呼んでいるのは 創設時 行政ならびに地域の方々の協力があって出来た歴史が根拠となっている。

  会長 藤本利夫氏(現7段)

副会長 坂口三代司氏(参段)高橋一男(参段) 

指導者 角田捨蔵氏(6段) 以下有段者13名を登録した。

練習は 毎週火 木 土曜日 夕方から守山町全域の子供たちを対象

 

昭和4111 組織一部変更

  後援会長:藤本利夫(現七段)、

副会長:高橋一男(元体育協会長・教育委員長 参段)、

指導者:藤本利夫、裵本孝一(参段)、柴原泰彦(現五段)、橘木美知男(現四段)

 

昭和422 藤本利夫が「柔道と柔道を通しての青少年育成」の熱意から、自費により自宅前に50坪の道場を建築した。その後、この道場は「守山道場」「藤本道場」と呼ばれ 守山野洲の柔道練習や試合会場として長く利用され一般柔道愛好者ならびにスポーツ少年団員が多く育っていった。

 

昭和42430 守山柔道協会創立20周年 守山柔道スポーツ少年団創立1周年 ならびに守山道場新築祝賀記念行事を盛大に開催した。後に総理大臣に就任した地元選出の宇野宗佑衆議院議員、県柔道連盟役員一同、北川俊一町長、町会議員全員、町教育委員長、守山警察署長、守山町内小中学校長、その他のご臨席を得た。これを機に、柔道連盟の組織は盤石となった。

 

昭和434月 スポーツ少年団保護者会が結成され、初代保護者会長に山口惣吉(山口屋洋品店店主)が就任した。

 

昭和434 京都市北区紫野池の坊町の京都少年心身育成柔道場練心会 会長堀部正一先生(六段)の呼びかけで、守山道場において親善試合を開催し、同年10月には練心会を訪問して少年部員の親善試合と保護者懇親会を開催した。

 (その後、毎年春は守山、秋は京都で親善試合を開催し、昭和50年からは年1回交互に訪問することになったが、それぞれの行事が多くなり、昭和601981)に27回を重ねて親善試合は終了した。)

 

昭和457 市制施行に伴い、名称を「守山市柔道スポーツ少年団」に改称した。

 

昭和458 講道館で開催された第1回全国中学校柔道大会に、この年の県大会優勝校である守山市立守山中学校柔道部が滋賀県代表として出場した。

 

昭和4610 岩井幸三(参段)が守山市柔道協会に加入し、守山市柔道スポーツ少年団指導者として登録した。

 

昭和47430 守山柔道協会創立25周年・守山市柔道スポーツ少年団創立6周年記念式典を開催した。

 

昭和482 滋賀県武道祭において藤本利夫が長年の功績により県武道功労者表彰を受賞した。 

 

昭和482 協会有志により、道場に屋根つきの駐輪場を設置した。

 

昭和483 県少年大会で2位に入賞した。

 

昭和484 飯塚 保(当時県柔道連盟事務局、現七段)が守山に転居し守山市柔道協会に加入した。守山市柔道協会、守山市柔道スポーツ少年団の指導者として登録したほか、守山市市体育協会、スポーツ少年団に多大な貢献を尽くした。

 

昭和49年 旭化成(株)の佐藤栄也参段が理事として参加し、選手の派遣、宮崎県延岡の旭化成チームとの親善試合・懇親会を開く等、連盟の発展と親睦に尽力された。(その後岩手県に転勤)

 

昭和504月 守山市体育協会への登録申請によると、当時の登録数(一般)は44名で、旭化成13名、富士車輛8名、ダイハツ工業3名と実業団所属が多かった。

 

昭和506 坪谷石根(現滋賀県柔道連盟副会長、現八段)が守山に転居し加入した。指導部長に就任し、坪谷の指導下に守山の柔道は着実に実力をつけ、各種大会で優秀な成績をあげて連盟の全盛期を迎えた。

 

昭和50816 守山スポーツ少年団出身の選手を中心とした守山市立守山中学校柔道部は、野洲秀一教諭の指導を得て春の県大会に優勝し、第6回全国中学校柔道大会(講道館)に滋賀県代表として出場を果たした。

 

昭和5010 大津市坂本町に元県柔連役員の竹村清氏(六段)を会長として設立された叡山柔道協会と、守山道場にて第1回親善試合と保護者懇談会を開催した。毎年1回、交互に訪問して親善試合を行ったが、昭和58年で終了した。

 

昭和51年4月 第2代保護者会会長に服部幹夫(服部工業株式会社社長)が就任した。5年間の会長職の間、保護者・指導者の連帯意識の高揚、脱衣所のロッカー寄附、女子更衣室の設置、その他運営上多大な貢献をしていただいた。

 

昭和51429 柔道協会会員の手により、道場の増築工事が手作りで行われた(本誌柴原氏、小川氏の寄稿文に詳細あり)。

 

昭和51820 守山市立守山中学校柔道部は、県大会を勝ち抜き、第7回全国中学校柔道大会(講道館)に滋賀県代表として連続出場を果たした。このチームは、続く近畿大会で、小野中学校(兵庫県)に決勝で敗れたものの、準優勝を飾った。

 

昭和51 前年指導部長に就任した坪谷石根の指導を得て、守山柔協チームが滋賀県青年柔道大会に優勝し、11月には当協会として初めての全国大会出場を果たした。

   25回全国青年大会柔道の部 滋賀県代表チームメンバー

監督:坪谷石根、先鋒:橘木美知男、次鋒:久保 章、中堅:名合孝之、副将:元山克郎、大将:真玉 博

 

   

※この頃は、1月の寒稽古と豚汁会、県柔道連盟新年役員会、2月の県武道祭、3月の県下少年柔道大会(その後8-9月)、土用稽古、夏季レクレーション、県民体育大会、県青年大会、守山市長杯争奪戦、守山市民柔道大会、守山市スポーツ少年団本部長杯争奪戦、滋賀県柔道整復師会主催県下少年柔道大会、滋賀県モーターボート協会主催滋賀県小学生柔道大会、守山市スポーツ少年団大会・クリスマス大会、年末反省会(餅つき)などが開催された。

 

昭和521 飯塚 保が守山市柔道スポーツ少年団団長に就任するとともに、守山市スポーツ少年団本部理事に就いた。氏はその活動の場を守山市および滋賀県スポーツ少年団、守山市体育協会に広げ体育全般の振興に努力貢献した。

 

昭和52424 守山柔道協会創立30周年・守山市柔道スポーツ少年団創立11周年記念式典を開催した。

 

昭和55 保護者の一員であった八木康夫(現三段)が指導者として登録され、指導の傍ら少年団の会計を担当するなど、運営上大いに活躍された。

 

昭和558 守山市柔道スポーツ少年団で柔道を始めた寺井秀徳(当時膳所高校3年)が、鳴門市で開催された第29回全国高等学校総合体育大会(インタハイ)個人戦軽量級に、守山柔道出身者で初めて出場した。

 

昭和562 滋賀県武道祭において、守山市柔道スポーツ少年団が団体表彰を受けた。

 

昭和56年4月 第3代保護者会会長に武中清嗣が就任した。守山小学校に赴任された小西喜朗教諭(現四段)が参画し、少年団の指導や一般の部の代表選手として、県下大会などに出場され、生徒や保護者の信頼も厚く貢献された。藤本利夫(当時六段)と飯塚 保(当時五段)が、毎年講道館で開催されている全国高段者柔道大会に滋賀県から初めて出場した。藤本はこの年は引き分けたが、昭和58年、平成3年(以降七段の部)、平成5年には、それぞれ1本勝ちを収めた。

 

昭和568 第34回滋賀県民体育大会個人戦段外の部で、中山幹夫が優勝した。

 

昭和561013日~16  伊香郡木之本町の伊香体育館で開催された滋賀国体 柔道の部において、藤本が救護班、坪谷が審判員、飯塚が決まり技決定係りとして参画した。(この大会で、滋賀県は総合優勝に輝いた。)

 

昭和5612月 初の女子有段者が2名誕生した(菊澤律子:膳所高、東京大へ進学、須戸ゆか:膳所高、滋賀大に進学、両名とも高校・大学柔道部でも活躍)。その後も、富樫美香、宇野奈津子などの女子有段者が多数誕生した。

 

昭和56126 大韓柔道大学校の学長、役員と選手の総勢18名とホテルレークビワにて交流会が開催された。宇野宗佑元総理大臣、高田信昭守山市市長、小島幸雄元県議会議長など、地元各界の代表者の方々にも出席頂き盛大な懇親会とった。訪問した役員、選手の中には五輪銀メダリスト、この後五輪金メダリストとなる選手が含まれていた。

 

昭和57321 第2回滋賀県小学生柔道大会において3位に入賞した。

 

昭和57418 守山柔道協会創立35周年・守山市柔道スポーツ少年団創立16周年記念式典を開催した。

 

昭和575月 前年、守山で交流会を開催した大韓柔道大学学長から招聘を受け、守山から藤本利夫以下9名が訪韓し、交流を温めた。

 

昭和57821 守山市スポーツ少年団本部創立20周年記念式典において、長年の団活動が認められ守山市柔道スポーツ少年団が表彰された。この時、指導者表彰として、藤本利夫、飯塚 保、坪谷石根、柴原泰彦、小川修司、橘木美知男、八木康夫の各氏が表彰された。

 

昭和582 滋賀県武道祭において藤本利夫が長年の功績により2度目の県武道功労者表彰を受賞した。

 

昭和584月 第4代保護者会会長に後藤三生が就任した。この年には、団員の保護者であった後藤三生、藤田唯夫、篠原 俊、峰松浜海等が、自ら柔道衣に着替え指導者登録し少年団の指導に当たった。当時、熱血保護者軍団と呼ばれていた。この時の団員であった、後藤憲治、藤田裕貴・英吾兄弟、篠原一哲、峰松裕也は、その後の進学先、さらには社会人になっても種々の大会に出場し立派な成績をおさめた。 

 

昭和58 8月に滋賀県青年柔道大会に優勝し、11月には全国青年柔道大会に2度目の出場を果たした。

   32回全国青年大会柔道の部 滋賀県代表チームメンバー

監督:坪谷石根、先鋒:森 孝則、次鋒:村田正治、中堅:仲谷克幸、副将:中山幹夫、大将:小西喜朗

 

 

昭和59812 県民体育大会柔道一般の部で3位に入賞した。 

監督:坪谷石根、先鋒:中山幹夫、次鋒:斎藤昭彦、五将:梶原一徳、中堅:野村善彦、三将:仲谷克幸、副将:元山克郎、大将:村田正治

 

昭和591125 第6回滋賀県少年柔道大会で2位に入賞した。

 

昭和6091 第21回滋賀県少年柔道大会高学年の部で2位に入賞した。

 

昭和60104 守山市柔道スポーツ少年団が社会体育優良団体として文部大臣表彰を受賞した。東京での受賞式には、団長:飯塚 保、団員代表:藤田英吾、育成会代表:藤田唯夫の各氏が出席した。

 

昭和6139 昭和60年度社会体育優良団体 文部大臣表彰受賞祝賀会が、宇野宗佑自民党幹事長代理(のちの内閣総理大臣)、高田信昭守山市長らにご臨席いただき、守山市商工会館で開催された。

 

昭和61320 県柔連大津支部の大島健義氏の特別のお計らいより、ロサンゼルスオリンピック(昭和59年)60kg級金メダリストの細川伸二選手、65kg級金メダリストの松岡義之選手に守山道場へお出でいただき、特別指導を受けることができた。

 

昭和61824 第35回滋賀県青年柔道大会準優勝に入賞した。

 

昭和61831 第22回県少年柔道大会で小学生低学年の部で2位に入賞した。個人戦においては女子選手の活躍が目立った。

 

昭和61119 滋賀県柔整師会主催第8回滋賀県少年柔道大会において守山スポーツ少年団が初優勝を飾った。

   8回滋賀県少年柔道大会団体優勝チームメンバー

監督:橘木美知男参段、先鋒:三角陽祐(2年)、次鋒:田中智之(3年)、中堅:石田将士(4年)、副将:岡本英典(5年)、大将:吉川光一郎(6年)

 

昭和622月 旭化成柔道同好会の山崎正参段以下9名が入会し、本格的な練習に取り組んだ。

 

昭和62222 滋賀県武道祭において、飯塚 保が長年の功績により県武道功労者表彰を受賞した。

 

昭和62年38 第7回滋賀県小学生柔道大会において3位に入賞した。

 

昭和62426 守山柔道協会創立40周年・守山市柔道スポーツ少年団創立21周年記念式典を開催した。

 

昭和62823 第36回滋賀県青年柔道大会に優勝し、11月の第36回全国大会に滋賀県代表として出場した。

36回全国青年大会柔道の部 滋賀県代表チームメンバー

監督:元山克郎、先鋒:澤井良太、次鋒:野村善彦、中堅:森 孝司、副将:田中晋司、大将:梶原一徳

 

昭和62830 第23回県少年柔道大会で小学生高学年の部で優勝、低学年の部で3位に入賞した。個人戦女子では田中美妃が優勝した。

  23回滋賀県少年柔道大会高学年の部優勝チームメンバー

先鋒:石田将士、次鋒:南平英樹、中堅:岡本英典、副将:金森 淳、大将:石田健治

  23回滋賀県少年柔道大会低学年の部3位チームメンバー

先鋒:三角陽祐、中堅:山口正和、大将:田中智之

 

昭和63214 滋賀県武道祭において坪谷石根が長年の功績により県武道功労者表彰を受賞した。

 

昭和63320 第8回滋賀県小学生柔道大会において3位に入賞した。

 

昭和6311月6日 滋賀県柔整師会主催第10回県少年柔道大会において準優勝した。

  滋賀県柔整師会主催第10回滋賀県少年柔道大会準優勝チームメンバー

先鋒:山本和幸、次鋒:西藤高志、中堅:三角陽祐、副将:田中智之、大将:石田将士

 

平成元年918-19 北海道で開催された第44回国民体育大会柔道競技少年男子において、比叡山高校3年生であった藤田裕貴(現スポーツ少年団団長、六段)を大将に据えた滋賀県チームが準決勝まで進んだ。

 

平成元年1010 藤田裕貴が全国高校柔道選手権大会に出場したほか、国民体育大会に滋賀県代表として出場し、好成績を収めたことから、守山市スポーツ表彰を受賞した。 

 

平成2318 第10回滋賀県小学生柔道大会において3位に入賞した。

  滋賀県モーターボート協会主催滋賀県小学生柔道大会3位チームメンバー

先鋒:吉田一平、次鋒:橘木雅孝、中堅:西藤高志、副将:三角陽祐、大将:中村朋貴

 

平成24 第5代保護者会会長に篠原 俊(弐段)が就任した。

 

平成2530 第12回県少年柔道大会高学年の部で準優勝し、729日に大阪で開催された近畿大会へ、滋賀県代表として出場した。

  滋賀県柔整師会主催第12回滋賀県少年柔道大会準優勝チームメンバー

先鋒:坂口大輔、次鋒:吉田一平、中堅:西藤高志、副将:三角陽祐、大将:中村朋貴

 

平成21010 滋賀県少年柔道大会に個人優勝した西藤高志が、守山市スポーツ表彰を受賞した。

 

平成21125 第42回近畿各種団体対抗柔道大会2位に入賞した。

  滋賀県柔整師会主催第12回滋賀県少年柔道大会準優勝チームメンバー

先鋒:田中智之、次鋒:田中貴史、中堅:横田英樹、副将:南平英樹、大将:石田健治

 

平成34 第6代保護者会会長に西藤 薫が就任した。

 

平成3825 滋賀県青年柔道大会に優勝し、11月の第40回全国大会に滋賀県代表として出場した。

 第40回全国青年大会柔道の部 滋賀県代表チームメンバー

監督:小笠原 俊、先鋒:須戸 幹、次鋒:川嶋義則、中堅:吉川真穂、副将:坪谷康宏、大将:中西一豪

 

平成4319 東京武道館で開催された第14回全国高等学校柔道選手権大会個人戦に、スポーツ少年団出身の柴原とも江(当時守山高校2年生)が滋賀県代表として出場した。

 

平成4426 守山柔道協会創立45周年、柔道スポーツ少年団創立26周年記念式典を挙行した。

 

平成410 守山市スポーツ少年団本部創立30周年記念式典において、守山市柔道スポーツ少年団が長年の団体活動に対して団体表彰を、藤本利夫、飯塚 保、坪谷石根、柴原泰彦、小川修司、橘木美知男が指導者表彰を受賞した。

 

平成41115 第44回近畿各種団体対抗柔道大会において優勝した。

 44近畿各種団体対抗柔道大会優勝チームメンバー

監督:元山克郎、先鋒:小川秀和、次鋒:坪谷康宏、中堅:川嶋義則、副将:須戸 幹、大将:森田芳久

 

平成5年3月 守山市スポーツ少年団本部本部長に飯塚 保が就任した。また、飯塚は、平成4年度滋賀県スポーツ少年団育成功労者表彰を受けた。

 

平成510月6日 藤本利夫が文部大臣表彰(体育の普及振興に尽力)を受けた。

 

平成51123 藤本利夫文部大臣表彰受賞記念祝賀会をホテルレークビワで行った。

 

平成786 第48回県民体育大会にて団体戦で初優勝を飾り、個人戦二段の部で藤田英吾が優勝した。

    第48回滋賀県民体育大会優勝チームメンバー

監督:元山克郎、先鋒:篠原一哲、次鋒:坪谷幸嗣、中堅:峰松裕也、副将:南平英樹、大将:藤田英吾

 

平成71010 県民体育大会優勝により守山市体育協会長表彰を受賞した。

 

平成71022 第47回近畿各種団体対抗柔道大会で3位に入賞した。

     第47回近畿各種団体対抗柔道大会で3位チームメンバー

監督:元山克郎、先鋒:篠原一哲、次鋒:坪谷幸嗣、中堅:石田健治、副将:南平英樹、大将:藤田英吾

 

平成884 第49回県民体育大会において団体は3位入賞し、篠原一哲が個人戦初段の部で優勝した。篠原は1010日に守山市体育協会長表彰を受賞した。

  第49回滋賀県民体育大会3位チームメンバー

監督:元山克郎、先鋒:坪谷幸嗣、次鋒:山崎哲弘、中堅:峰松裕也、副将:南平英樹、大将:藤田英吾

 

平成9427 守山柔道協会創立50周年・守山市柔道スポーツ少年団創立31周年記念式典を、守山市体育協会をはじめとする多くの後援、協賛を頂き開催した。

しかし、この頃からスポーツの多様化や少子高齢化の影響から柔道人口の減少し、柔道スポーツ少年団員数も激減し、団体戦のメンバーを揃えるにも苦慮するようになった。

 

 平成98 第50回県民体育大会団体戦にて優勝した。

 

平成10年  立ち上げから50年以上守山柔道を牽引してきた藤本利夫にかわり、指導部長であった坪谷石根(現八段)が第2代守山柔道協会会長に就任した。市内の実業団チームの選手も守山道場で稽古をする現状を鑑みて、守山柔道協会を守山市柔道連盟へと名称を変更した。

 

平成108 第51回県民体育大会にて2年連続優勝を成し遂げた。

 

平成108 県体2連覇の勢いで、全国青年柔道大会に5度目の出場を果たした。個人戦75kg以下級では、篠原一哲が見事2位に入賞する快挙を成し遂げた。

   47回全国青年大会柔道の部 滋賀県代表チームメンバー

先鋒:山﨑哲弘、次鋒:峰松裕也、中堅:篠原一哲、副将:石田健治、大将:坪谷幸嗣

 

平成128 第53回県民体育大会にて4度目の優勝を飾った。

 

平成12109 飯塚 保が文部大臣表彰(体育の普及振興に尽力)を受けた。 

 

平成13311 飯塚 保文部大臣表彰受賞記念祝賀会をつがやま荘で行った。

 

平成131111 坪谷石根柔道連盟会長が中心となって第1回守山市武道祭が開催された。

 

平成142月 滋賀県武道祭において、守山市柔道スポーツ少年団が団体表彰を受けた。

 

平成144月 佐野正博(現参段)がスポーツ少年団団長に就任した。

 

平成1410 守山市スポーツ少年団本部創立40周年記念式典において、守山市柔道スポーツ少年団が長年の団体活動に対して団体表彰を、藤本利夫、飯塚 保、坪谷石根、柴原泰彦が指導者表彰を受賞した。

 

平成15510日 飯塚 保、曽根善三(現四段)の尽力によって柔道教室を開設した。より柔道に親しめるよう門戸を開く努力の結果、子供達とともに教室・スポーツ少年団の指導者として柔道経験保護者が参加するようになり、その後教室・スポ少合わせて約60名の小学生が稽古に励むようになった。

 

平成172 柴原泰彦が滋賀県スポーツ少年団本部より優秀指導者表彰を受賞した。

 

平成1710 三上靖夫(現五段)が指導者として連盟に参画した。

 

平成185 第3代守山市柔道連盟会長に柴原泰彦(現五段)が就任した。

 

平成18730 第59回滋賀県民体育大会個人戦 4段の部で、藤田英吾が優勝し、翌年5月に守山市スポーツ賞を受賞した。

 

平成17 柴原泰彦が滋賀県スポーツ少年団本部より平成17年度滋賀県スポーツ少年団優秀指導者表彰を受賞した。

 

平成19 柴原泰彦が滋賀県スポーツ少年団本部より平成19年度滋賀県スポーツ少年団育成功労者表彰を受けた。

 

 

平成203月 藤本利夫が昭和42年に私財を投じて建築した藤本道場を返還、活動拠点を守山市立守山中学校武道場に移した。これによって藤本道場は41年の歴史に幕を閉じた。なお、「藤本利夫先生並びに藤本道場に感謝を伝える会」を賛同者によって組織し、御礼を申し上げた。

 

平成212 柴原泰彦が体育振興に尽力した功績により、守山市自治振興表彰を受賞した。

 

平成214 守山市立守山中学校に、卓越した柔道指導歴を持つ正江茂文教諭が東近江市立湖東中学校から赴任し、柔道部の指導を開始し、その後現在まで、滋賀県大会のみならず、全国大会や近畿大会で多くの入賞者を輩出している。

 

平成215月 4代守山市柔道連盟会長に曽根善三(現四段)が就任した。

 

平成222 飯塚 保が、日本スポーツ少年団顕彰を受賞した。

 

平成22225 曽根善三が、体育協会役員など多年にわたり体育振興に尽力した功績で平成21年度守山市自治振興表彰を受けた。

 

平成22年4月 藤田裕貴(現六段)がスポーツ少年団団長に就任した。

 

平成22819-22日 守山市立守山中学校の佐野 愛が女子44kg級滋賀県代表選手として第41回全国中学校柔道大会(松江市)に出場した。守山柔道から全国中学校柔道大会個人戦初の出場選手となった。

 

平成23222  市立守山中学校柔道部顧問の正江茂文教諭が、教育活動に卓越した指導力を発揮した功績で平成22年度守山市学校教育表彰を受けた。

 

平成2387 第64回滋賀県民体育大会個人戦で、弐段の部で南平英樹が2位に宇野 敏が3位に、初段の部で堀家徹也が2位に入賞した。

 

平成245 守山市立守山中学校柔道部が春季総体女子団体で初優勝し、7の夏季総体にも優勝して、821-24の第43回全国中学校柔道大会(川崎市)に滋賀県代表として出場した。

 

平成2488 第65回滋賀県民体育大会個人戦段外の部で、宇野政良が優勝、参段の部で南平英樹が3位に入賞した。宇野は、翌年5月に守山市スポーツ賞を受賞した。

 

平成255月 守山市スポーツ少年団本部創立50周年記念式典において、守山市柔道スポーツ少年団が長年の団体活動に対して団体表彰を受けた。

 

平成256月 5代守山市柔道連盟会長に三上靖夫(現五段)が就任した。

 

平成2583 第67回滋賀県民体育大会個人戦初段の部で、寺井拓也が2位、赤塚拓巳が3位に入賞した。

 

平成2589-10 大津市で開催された第62回近畿中学校総合体育大会で、守山市立守山中学校柔道部が3位入賞、個人戦では女子44kg級で安枝汐香が、女子63kg級で水野瑚春が見事優勝した。

 

平成25818-21 守山市立守山中学校柔道部が三重県で開催された第44回全国中学校柔道大会に滋賀県代表として連続出場を果たした。同大会の個人戦にも、男子1名、女子4名が滋賀県代表として出場し、4名が初戦を突破し、女子63kg級の水野瑚春が5位に入賞した。

 

平成2639 第35回滋賀県小学生柔道大会にて、2年女子で向尾美妃が3位に入賞した。

 

平成265 春季総体で、女子個人戦8階級中6階級を守山市立守山中学校柔道部員が制した。

 

平成26822-25日 松山市で開催された第45回全国中学校柔道大会 個人戦女子40kg級で向尾知妃が5位に入賞した。

 

平成26831日 50回滋賀県小学生柔道大会で、1年男子の多賀仙亮と3年女子の向尾美妃が3位に入賞した。

 

平成27315 第35回滋賀県小学生柔道大会にて、3年女子で向尾美妃が2位に入賞した。

 

平成27322 第23回滋賀県小学生学年別・体重別柔道交流会にて、3年女子で向尾美妃が優勝、6年男子で篠原一太が準優勝した。

 

平成27817-20日 函館市で開催された第46回全国中学校柔道大会個人戦に、男子2名、女子3名が滋賀県代表として出場し、個人戦女子52kg級で藤井志穂が3位に入賞する快挙を成し遂げた。

 

平成2796日 51回滋賀県小学生柔道大会個人戦で、4年女子向尾美妃が準優勝した。

 

平成271122 第24回滋賀県小学生学年別・体重別柔道交流会にて、4年男子の佐藤昊弥と4年女子の向尾美妃が2位に、2年男子多賀仙亮、5年女子篠原三奈、6年女子南平優華が3位に入賞した。

 

平成28118 市立守山中学校の正江茂文教諭が、部活動指導の功績を評価され、文部科学大臣優秀教職員として表彰された。

 

平成28223 藤田裕貴が、柔道スポーツ少年団で多年にわたり体育振興に尽力した功績で平成27年度守山市自治振興表彰を受けた。

 

平成284 春季総体で、女子団体で優勝、女子個人戦8階級中4階級を守山市立守山中学校柔道部員が制した。

 

平成28年65 全国小学生学年別柔道大会滋賀県予選が開催され、5年女子45kg超級で向尾美妃が2位と、全国大会まであと1歩であった。

 

平成2887 第69回滋賀県民体育大会個人戦段外の部で、高野善信が優勝し、翌年5月に守山市スポーツ賞を受賞した。

 

平成28817-20 新潟県上越市で開催された第47回全国中学校柔道大会個人戦に、7月の県大会を制した市立守山中学校女子団体、および、個人戦男子50kg級、女子40kg級、44kg級、48kg級、57kg級、63kg級の6選手が滋賀県代表として出場した。

 

平成2894日 52回滋賀県小学生柔道大会個人戦で、5年女子向尾美妃が優勝し、5年生男子佐藤昊弥が2位に入賞した。さらに、1年生男子笠原正慶、3年生男子多賀仙亮、6年生女子篠原三奈と西本彩羽が3位に入賞した。 

 

平成28928日 この年8月のリオデジャネイロ五輪で、旭化成所属の男子73kg級金メダリストの大野将平選手と男子81kg級銅メダリストの永瀬貴規選手が、中村兼三監督と共に守山市役所を表敬訪問し、市立守山中学校柔道部員と懇親の機会を得た。

 

平成281218 第25回滋賀県小学生学年別・体重別柔道交流会にて、2年女子軽量級で島村里佳が優勝、5年女子重量級で向尾美妃が2位に入賞したほか、1年生男子軽量級で杉原斗希が、2年生男子重量級で佐藤勝太朗が、3年生女子軽量級で堀家妃乃が、5年生男子重量級で佐藤昊弥が、6年女子重量級で西本彩羽が、3位に入賞した。

 

平成281120 第11回守山市武道祭を守山市柔道連盟の主催で開催し、連盟に所属する成年、スポーツ少年団団員、柔道教室生徒によって公開演武を行った。

 

平成29225 守山市柔道スポーツ少年団が、滋賀県体育協会滋賀県スポーツ少年団から優秀スポーツ少年団として表彰を受けた。

 

平成29312 第37回滋賀県小学生柔道大会で2年女子の島村里佳と6年女子の篠原三奈が、2位に入賞した。

 

平成29523 2020年東京パラリンピックで、守山市がトルコの柔道(視覚障害者)とゴールボールのホストタウンになることが決まったことを受けて、メリチ駐日トルコ大使が宮本和宏市長の案内で守山柔道の視察に来られた。

 

平成29年5月18 春季総体で、スポーツ少年団出身の選手を中心とする、守山市立守山中学校が、男女とも団体でアベック優勝を果たした。

 

平成2964 全国小学生学年別柔道大会滋賀県予選が開催され、6年女子向尾美妃が2位、6年男子佐藤昊弥が3位と、全国大会出場まであと1歩であった。

 

平成29727日 夏季総体で、守山市立守山中学校が、男女とも団体でアベック優勝を果たし、全国大会出場を決めた。

 

平成2987 京都市武道センターで開催された第66回近畿中学校総合体育大会で、守山市立守山中学校柔道部は団体戦で男女ともベスト8に進出し、個人戦では女子44kg級の南平優華と48kg級の安枝風香が2位に、男子66kg級の森田凌介が3位に入賞した。

 

平成29812 福島県で開催された第66回全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の女子個人戦78kg超級で、市立守山中学校柔道部OGの園田萌絵香(岡山・創志学園3年)が3位に入賞した。

 

平成29822-25 福岡国際センターで開催された第48回全国中学校柔道大会に、市立守山中学校男子・女子団体、および、個人戦男子60kg級、66kg級、女子40kg級、44kg級、48kg級の4選手が滋賀県代表として出場した。女子団体は、予選リーグ22勝で初の決勝トーナメントへ進出、ベスト16で敢闘賞を表彰された。

 

平成2993 第53回滋賀県小学生柔道大会個人戦で、6年生女子で向尾美妃が優勝し、3年生女子で島村里佳が2位に入賞した。

 

平成30311 第38回滋賀県小学生柔道大会で6年女子の向尾美妃が優勝した。

 

平成30318 守山市柔道連盟70周年・守山市柔道スポーツ少年団創立51周年記念祝賀会をライズヴィル都賀山において盛大に開催した。守山柔道に熱く関わってきた方々が、遠くは岩手県からお越しになられ、旧交を温めることができた。

 

平成30428 講道館(東京)で開催された全国高段者大会に、守山柔道から25年ぶりに三上靖夫が出場し、一本勝ちを収めた。

 

平成30517-18 春季総体で、スポーツ少年団出身の選手を中心とする、守山市立守山中学校が、男女とも団体で2年連続アベック優勝を果たした。個人戦では男子55kg級斉藤 尊、81kg級藤田康生、女子48kg級安枝風香、52kg級南平優華がそれぞれ優勝した。

 

平成30727-28日 夏季総体で、守山市立守山中学校が、男女とも団体でアベック優勝を果たし、男子は2年連続、女子は3年連続で全国大会出場を決めた。個人戦では男子55kg級斉藤 尊、73kg級西本波留、81kg級藤田康生、女子48kg級安枝風香、52kg級南平優華、57kg級篠原三奈、70kg級川嶋海来がそれぞれ優勝し、全国大会へ駒を進めた。

 

平成308月1日 兵庫県立武道館で開催された第12回近畿ジュニア柔道体重別選手大会に、酒井良晴が男子55kg級に滋賀県代表として出場した。守山高校に在学中であるが、同校に柔道部がないので、出身校である市立守山中学校で後輩や一般成人と稽古を重ね、守山市柔道連盟所属として大会に出場した。

 

平成3084-5 大阪市舞州アリーナで開催された第67回近畿中学校総合体育大会で、守山市立守山中学校柔道部は団体戦で男子がベスト8、女子は3位に入賞した。個人戦では女子48kg級の安枝風香が見事優勝し、女子70kg級の川嶋海来が3位に入賞した。

 

平成3088-12 三重県で開催された第67回全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で守山中学校OBが活躍した。男子個人戦90kg級に西本萌人(近江高3)が、100kg超級に藤田優介(比叡山高3)が出場したほか、向尾知妃(静岡・藤枝順心高3)が女子団体メンバーとして3位に入賞した。

平成308月17-20 広島県立総合体育館で開催された第49回全国中学校柔道大会に、市立守山中学校男子・女子団体、および、個人戦男子55kg級、73kg級、81kg級、女子48kg級、52kg級、57kg級、70kg級の7選手が滋賀県代表として出場した。女子団体は、予選リーグ22勝で決勝トーナメントへ進出し、決勝トーナメントでも勝ち上がって5位に入賞する快進撃で大健闘であった。男子団体は予選リーグ1勝1敗であった。個人戦では、女子48kg級安枝風香、52kg級南平優華がベスト16に進出した。